vol.05  自然と人のつながりを描く五十嵐大介

インタビュー

vol.05  自然と人のつながりを描く
五十嵐大介

自然の鼓動をダイナミックかつ繊細に描く、漫画家の五十嵐大介さんをご紹介します。農村の豊かな日常から、海を舞台にした壮大な冒険まで、自然をテーマに意欲的な作品を次々と生み出している五十嵐さんは、どんな視点で世界を見ているのでしょうか。

vol.05  自然と人のつながりを描く五十嵐大介

Profile

五十嵐大介(Daisuke Igarashi)

1969年埼玉県生まれ。1993年『月刊アフタヌーン』(講談社)の四季大賞を受賞。そののち岩手県の衣川村(現・奥州市)に移住。農作業を行いながら漫画を描く生活を送る。『リトル・フォレスト』(講談社)、『海獣の子供』(小学館)、『はなしっぱなし』(河出書房新社)、『カボチャの冒険』(竹書房)など著書多数。自然をテーマにした壮大な作品で知られる。

「雑草」というものはない

『リトル・フォレスト』全2巻(講談社)
©五十嵐大介/講談社

−−−今日は五十嵐さんの漫画の中で描かれている、自然と人とのつながりをテーマにお話をうかがいたいと思います。まずはこの夏、橋本愛さん主演の映画が公開される『リトル・フォレスト』について(今年の8月に〈夏・秋〉編が、来年2月に〈冬・春〉編が公開予定)。この作品は、都会から田舎に戻って来た女性の自給自足生活を描いた物語ですが、五十嵐さんの原作の中でとても印象深いエピソードがありました。それはツクシの回。見方を変えれば雑草というようなものはない、という考え方がとてもおもしろいと感じました。

昔から道端に生えてる草に興味があって。そういうものの中には食べられるものも少なくないということは学生の頃から知っていました。だからもともと「雑草」という言葉に違和感があったのは事実ですが、そのあと自分で農作業をするようになったら、ちょっと考え方が変わりました。

−−−ここで読者のみなさんに少し説明させていただきますと、五十嵐さんははじめての連載が終わったあと、岩手県の衣川村(現・奥州市)に移住して約3年間、農作業をしていたことがあります。

ええ。で、実際に農作業をやってるとあまり悠長なことは言ってられないんです。何しろものすごい数の雑草に畑が侵食されてしまうので(笑)。ただ、私は根っからの農民ではないので、形がおもしろい草は残しておいたりもしましたね。せめて花が咲くまではそのままにしておいてやろう、とか。いずれにしても雑草というのはあくまでも人間から見ての話だと思います。

左:五十嵐さんが自給自足生活を送っていた岩手県衣川村。
右:スイセンが自生する自宅前。


−−−1巻にある「そこらに生えているものが食卓の主役になる」という言葉も印象的ですね。手間ひまさえかければ、たいていのものは食べられるという。五十嵐さんは関東のご出身ですが、そもそもなぜ東北で農業をしようと思われたのですか。

両親が東北の出身だというのもありますが、最初の連載作の『はなしっぱなし』を描き終えた頃、なんとなく北のほうでしばらく生活してみたいな、と思ったんです。当時は漫画の仕事があまりなく、時間がけっこうあったので、その間に農作物を育てたり、漫画以外のスキルを身につけるのもいいかなと。

−−−漫画以外のスキルといいますと?

当時いろんなところに旅行していて気づいたことですが、交通手段の限られている島などに住んでいる方というのは、基本的に自分たちのことはすべて自分たちでするわけじゃないですか。つまり、生きていくためのあらゆるスキルを自然と身につけているというか。都会にいるとたいていの物は買えるし、困ったことがあれば電話一本で誰かが助けにきてくれますよね。それはそれで優れたシステムなわけですが、それ以上に、当時の私は島の人々のようになんでも自分でできるほうがかっこいいなと思ったんです。と言ってもすぐにいろいろできるわけではないので、最初は庭でトマトをつくるところからはじめました。

−−−農作業と漫画を両立させるつもりだった?

いえ。しばらくは漫画から距離を置こうと思っていました。ですから、『リトル・フォレスト』のような漫画のネタを探すために、東北で自給自足生活をしたというわけではないんです。

−−−なるほど。そういえば先ほどツクシの回が印象的だったと言いましたが、同じように心に残ったのがアイガモの回です。そのエピソードではアイガモ農法のアイガモを解体して、食べるところまでが描かれていますが、命をいただく、ということがものすごく伝わってくるエピソードでした。

アイガモの解体はじっさいに手伝ったことがあります。私はもともと虫も殺せない男だったのですが(笑)、農業をやってると必然的に作業の妨げになる虫を殺しますよね。その過程で、何か自分の中で割り切った部分ができたのかもしれません。ですからはじめてアイガモの解体に立ち合った時も、そんなに動揺することはありませんでした。ただし、解体する以上は、脂も含めて、食べられるところはすべていただこうと思ってました。




「いただきます」という言葉の意味

−−−そういうお話をお聞きすると、『リトル・フォレスト』に繰り返し出てくる「いただきます」という言葉がとても重く感じられます。

「いただきます」という言葉は、もちろん命をいただく、という意味が大きいのだと思いますが、時間をいただく、という面もありますよね。たとえば畑で野菜をつくるにしても、その工程というのはものすごく時間がかかっているわけで。森の木を切り、土を耕し、牛や馬や肥料などの力も借りて、何十年もかけて、ようやく作物がとれるわけです。肉や魚についても同じようなことが言えると思いますが、特に植物というものは、見ているだけでそれと接した時間がよみがえってくる。植物と接している時は、時計の針の動きとはまた別の時間が流れているような気がします。

−−−植物と言えば、人は食べるだけでなく、部屋に花を飾ったり庭で育てたりしますよね。また、何かおめでたいことがあった人に花束を贈ったり、逝ってしまった方に捧げたり......。

ええ。時間をかけて育てないといけない花というものは、そうしたいろいろな人の想いを表現しやすいものですから。芸術などと同じように、食べ物や衣服とは別の意味で、なくてはならないものだと思います。観賞用の花だけでなく、野菜の花もとてもきれいなんですよ。それこそ雑草と呼ばれるようなものの中にも、美しい花を咲かせるものもあります。

−−−ちなみに『リトル・フォレスト』という作品で、五十嵐さんが伝えたかったことはなんでしょう。

先ほどの島の話と重なりますが、たとえば農村で暮らす女性はとてもスキルが高いんです。子供の世話をして、旦那の世話をして、おじいさんやおばあさんの世話をしながら、家事もこなしつつ農作業も手伝う、というように。さらに庭の花もきれいに育ててるし、道に生えた草を刈ったり、山菜を保存食にしたりも。彼女たちにとっては当たり前の日常なのかもしれませんが、そういう姿を見てると単純にすごいなあ、と感心して。私にはとてもできません(笑)。でも単に生活のために苦労してるという感じでもなく、楽しんでるんです。そしてみんなものすごく充実した顔をしている。つまり、そういう生活をもっと顧みてもいいんじゃないかな、というのが『リトル・フォレスト』を描こうと思った最初の動機でした。本当に豊かな生活というのはそういうことなのではないか、という気持ちは今でも変わっていません。




人間はまだこの世界のことをほとんど知らない

−−−次に、五十嵐さんの代表作である『海獣の子供』についてお聞きします。この物語は、琉花(るか)という少女が、ジュゴンに育てられた海(うみ)くん、空(そら)くんという不思議な少年たちと出会うことで、世界の秘密に迫る冒険に巻き込まれてしまう壮大な物語ですが、作中で繰り返されている、我々は世界の一部なのだというのは、もともとお考えになっていたことですか。

そうですね。『海獣の子供』に限らず、学生の頃から感じていたことと、実際に山の中に住んで思ったことをいろんな漫画で描いているところはあります。ご質問と答えの論点が少しずれるかもしれませんが、都会で人工物だけに囲まれていると、目に映るものはすべて静止している。動いてないんです。ところが海や山の中では自分を取り囲むすべてが常に動いている。風や木や草に囲まれている環境が、自分がいちばん落ち着ける場所なのだと、ある時気づきました。数年前に岩手での生活を終えて、いったんは都内に引っ越ししたのですが、現在は緑の多い鎌倉に住んでいます。

−−−『海獣の子供』では、「我々が知っている自然はまだその一部にしかすぎない」というようなことも描かれていますよね。「この世界に在るもののうち、僕ら人間に見えているものなんてほんのわずかしかないんだ」という若き天才海洋学者・アングラードのセリフとか。

私たちは自分の目に入る範囲が世界のすべてだと思ってしまいがちです。情報による文化が発達した現代に生きていると、つい知っている気になってしまうと思うんです。地球上に知られていない場所はもうない、とか。ですが実際は、地球の大部分を占める深海に行ったことのある人間のほうが宇宙へ行った人間よりも少ない。人類はまだ、海やこの地球について知らないことのほうが多いはずなんです。


−−−話はちょっと戻りますが、農業は独学で?

そうです。近所の人に教わりつつ、基本的には本を読んだりしての独学です。なるべく手間はかけずにどう作物を育てるか、自分なりに試行錯誤しました。カボチャという名の猫も村に連れて行きましたが、その頃は完全にほったらかしでした。カボチャは盛岡市で拾った猫ですが、私よりもすばやく農村生活に順応してました(笑)。

−−−その愛猫との日常は『カボチャの冒険』というとてもかわいい作品集にまとめられています。ちなみにはじめて米や野菜を収穫した時は感動しましたか。

感動というよりは、これでなんとか食い物にありつける、とホッとした感じ(笑)。もしかしたらこの時に、さっきお話しした収穫までの時間をはじめて実感したのかもしれません。

−−−最後に、エンターテインメントで自然と人間のつながりを描く、ということについてお聞かせください。

漫画でなくても何かを表現しようという時は、自分の価値観がどうしても前面に出てしまうと思うんです。だから私の場合は、自然をテーマとしてあえて選んでいるわけでなく、描きたいものを描いたらこうなった、というのが正確なところだと思います。今後も自然との関わりについて描いていくとは思うのですが、作中で声高に環境問題などを訴える気はありません。もちろん自分なりの考えはありますが、読んでくださった方が私の漫画をきっかけとして、自然と自分のつながりをそれぞれが感じていただければ充分です。


聞き手・テキスト:島田一志 撮影(提供写真以外):水野聖二 撮影協力:お猿畠(鎌倉)


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